千葉県市川学園でいじめ・暴力を受けた話-5

私は何年か前に6年間、千葉県市川市にある私立市川学園(市川中学校・市川高校)に在学していました。

そこで私は男なのに声が高かった(変声障害)ことと鉄道研究部に入部していたせいで、他の生徒や先生にバカにされたりいじめを受けてきました。また、声変わりに失敗したと完全に人格を否定した言い方でバカにされてきました。そして、数々の暴力も受けてきました。

このような度重なるいじめ・暴力行為に対し、私は市川学園(市川中学校・市川高校)に在学中に何度も自殺を考えていました。

まさに私にとって市川学園(市川中学校・市川高校)は生き地獄でした。

そして卒業した現在でも、私立市川学園(市川中学校・市川高校)で受けてきた度重なるいじめ・暴力行為の記憶がトラウマのようにフラッシュバックしてきて、その度に苦しい思いをしています。そしてついには、うつ病の一歩手前の適応障害になってしまい、仕事を退職せざるを得ないほどまでに影響を与えています。

以上より第三教育とは他人をいじめることを学ぶ教育であると言えます。

これほどのいじめ・暴力行為を受けてきたのにも関わらず、私をいじめていた生徒や先生はいまだに一言も謝罪をしていません。

長い間沈黙を保ってきましたが、これ以上犠牲者を出したくないという思いから、私立市川学園(市川中学校・市川高校)で受けたいじめの体験談を書きたいと思います。

 

 高1の時(4年6組)に男なのに高い声の私をいじめてきたのはO野崇寛です。O野崇寛はT田大貴と同じく、男なのに高い声の私の声マネをして毎日何回も男なのに高い声の私をからかってきました。O野崇寛とは中2の時にも同じクラスでその時にも、男なのに高い声の私の声マネをして毎日何回も男なのに高い声の私をからかってきました。中2の時のO野崇寛のいじめ仲間はO川瑛司です。毎日のように男なのに高い声の私をいじめたきたO野崇寛ですが、ある日起きた出来事を境にいじめがよりひどくなりました。

それは高1の2月14日のバレンタインデーの日のことでした。文科系の部活に所属していた男なのに高い声の私は、廊下で後輩の女子からチョコをもらいました。その光景を男なのに高い声の私をいじめているO野崇寛に見られていました。それを見たO野崇寛は、嫉妬のため、男なのに高い声の私の声マネをしてからかうのがより酷くなりました。それを当時好きな女の子の前でやられたので、かなり辛かったです。こんなことをやっているからO野崇寛はモテないということに気付かないのです。モテない、心がブスのO野崇寛はとても醜く、哀れでなりません。なぜ、奴が生きているのか理解できません。学校はいじめは許さないと言っていますが、現実には陰湿ないじめ(教師による生徒へのいじめも含めて)が存在します。

O野崇寛の男なのに高い声の私に対するいじめは市川学園(市川中学校・市川高校)を卒業した今でも、時々トラウマのように思い出され、その度に苦しい思いをしています。市川学園(市川中学校・市川高校)でのO野崇寛に受けてきた数々のいじめ・暴力が原因で、社会人になってから適応障害になり、会社を退職せざるを得ないほどにまで影響を与えました。男なのに声が高いからと言って、いじめ・暴力を受けなければならない理由があるのでしょうか。いじめっ子にはわからないのでしょう。

また、卒業式の日に市川学園(市川高校)校内で同級生の目をカッターで切りつけ、大量出血させて潰した事件があったのですが、O野崇寛はその事件の犯人と大親友でした。そんな奴と大親友という段階で人間性がよく分かります。

 

 後に続く

 

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