6-千葉県市川学園でいじめ・暴力を受けた話

私は何年か前に6年間、千葉県市川市にある私立市川学園(市川中学校・市川高校)に在学していました。

そこで私は男なのに声が高かった(変声障害)ことと鉄道研究部に入部していたせいで、他の生徒や先生にバカにされたりいじめを受けてきました。また、声変わりに失敗したと完全に人格を否定した言い方でバカにされてきました。そして、数々の暴力も受けてきました。

このような度重なるいじめ・暴力行為に対し、私は市川学園(市川中学校・市川高校)に在学中に何度も自殺を考えていました。

まさに私にとって市川学園(市川中学校・市川高校)は生き地獄でした。

そして卒業した現在でも、私立市川学園(市川中学校・市川高校)で受けてきた度重なるいじめ・暴力行為の記憶がトラウマのようにフラッシュバックしてきて、その度に苦しい思いをしています。そしてついには、うつ病の一歩手前の適応障害になってしまい、仕事を退職せざるを得ないほどまでに影響を与えています。

以上より第三教育とは他人をいじめることを学ぶ教育であると言えます。

これほどのいじめ・暴力行為を受けてきたのにも関わらず、私をいじめていた生徒や先生はいまだに一言も謝罪をしていません。

長い間沈黙を保ってきましたが、これ以上犠牲者を出したくないという思いから、私立市川学園(市川中学校・市川高校)で受けたいじめの体験談を書きたいと思います。

 

 中2の時(2年6組)に男なのに高い声の私をいじめてきたのはO野崇寛の他にO川瑛司もいました。O川瑛司はO野崇寛やT田大貴と同じく、男なのに高い声の私の声マネをして毎日何回も男なのに高い声の私をからかってきました。

また、O川瑛司は高い声をバカにするだけでなく、私が所属していた部活についてもバカにしてきました。男なのに高い声の私は、鉄道研究部に所属していました。鉄道研究部というのは、市川学園(市川中学校・市川高校)では生徒及び先生から見下し・軽蔑の対象でした。そのため、鉄道研究部員というのは「キモオタ」という扱いでいじめの対象でした。特にO川瑛司は男なのに高い声の私に対して、鉄道研究部に所属していることに対するいじめ・暴力が酷かったです。O川瑛司は毎日、男なのに高い声の私に対し「キモオタ死ね」という暴言を浴びせてきました。

また、O川瑛司は男なのに高い声の私に対し暴力もふるってきました。

体育のバスケの授業の時間、パス練習で何度も男なのに高い声の私の顔面に向けてボールをぶつけてきました。とても辛かったです。とても痛かったです。そんな状況でも男なのに高い声の私はとてつもない痛みに黙って耐えるしかありませんでした。

なぜ、奴が生きているのか理解できません。学校はいじめは許さないと言っていますが、現実には陰湿ないじめ(教師による生徒へのいじめも含めて)が存在します。

O川瑛司の男なのに高い声の私に対するいじめは市川学園(市川中学校・市川高校)を卒業した今でも、時々トラウマのように思い出され、その度に苦しい思いをしています。市川学園(市川中学校・市川高校)でのO川瑛司に受けてきた数々のいじめ・暴力が原因で、社会人になってから適応障害になり、会社を退職せざるを得ないほどにまで影響を与えました。男なのに声が高いからと言って、いじめ・暴力を受けなければならない理由があるのでしょうか。いじめっ子にはわからないのでしょう。

また、卒業式の日に市川学園(市川高校)校内で同級生の目をカッターで切りつけ、大量出血させて潰した事件があったのですが、O川瑛司はO野崇寛と共にその事件の犯人と大親友でした。そんな奴と大親友という段階で人間性がよく分かります。

 

 後に続く

 

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